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スチームパンクをめぐる冒険(1)

はじめに

先日物故されたSF作家の伊藤計劃氏が半年ほど前、スチームパンクについて言及されたことがあった。個人的にはスチームパンクに格別思い入れがあるというわけじゃないけれど、当時たまたま気になっていたところだったので、伊藤氏の言い分には少し違和感があった。『ディファレンス・エンジン』がサイバーパンクだというのはいいとして、だからスチームパンクではない、というのはスチームパンクを狭く捉えすぎているんじゃないか。

伊藤氏はスチームパンクの起源(というか命名の由来)を根拠に『ディファレンス・エンジン』とスチームパンクは違うものだと主張したけれど、たとえばスチームパンク自体がジーターやパワーズやブレイロックの小説から『ディファレンス・エンジン』へと移り変わったと考えてはいけないのだろうか。サイバーパンクは現代SFの父であるガーンズバックのSFと内容は全然違うけれど、テクノロジーを通して未来を考察するという根幹部分に共通するところがあるからSFの系譜に連なっている。同じことがスチームパンクにあってもいい。そのためにはジーター達の小説と『ディファレンス・エンジン』の相違点をあげつらうばかりでなく、両者を含むようなスチームパンクの文脈を探ることが必要だろう…。

というような適当な思いつきをこねくり回したり、たまにググったりしているうちに半年が経ってしまった(そして伊藤氏も亡くなられてしまった)。今更の感もあるけれど、ちょうどキリよい時期なので、ここらで一つ考えたり調べたりしたことをまとめてみたい。

文化トレンドとしてのスチームパンク

ところで先程スチームパンクがたまたま気になっていたと書いたけれど、なんでまた今スチームパンクなのか。単純な話で、どうも近年英語圏スチームパンクがもてはやされているらしいのだ。例えばGoogleの検索数の推移を見られるGoogle Trendsで"steampunk"という語の動向を見てみると、それまであるかないかだったのがここ数年で突然急激な増加を見せている。昨年2008年には特に顕著で、5月にはニューヨーク・タイムズ紙にスチームパンクを取材した記事が載ったりもしたGoogleの検索結果も今や何百万件とヒットするし、ちょっとした勢力なのは間違いない。ところがややこしいことに、この「スチームパンク」というのはある種のSF/FT小説を指しているのではなく、全然別の(しかし根っこの所では関係なくもない)文化の動向を指しているらしい。小説の話に入る前に、NYタイムズの記事などを手がかりにこの現在流行のスチームパンクをちょっと探ってみよう。

まず何なのかという話。記事中の言葉でいうと「音楽・映画・デザイン・ファッションを包括する、タイムトラベル的空想世界の芸術表現」ということだが、ぶっちゃけていえばアナクロニズムということだろう。ただ、その対象が単に19世紀当時の文化風俗を指しているのでなく、そこに当時の小説(H・G・ウェルズジュール・ヴェルヌなど)や後世のメディア(『リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン』や『ディファレンス・エンジン』など)の描いたイメージが色々混じり合った、まさに空想世界を指しているというのが特徴だ。そう言われると確かにスチームパンクという感じがしなくもない。

具体的な活動に関していうと、大雑把にファッションとワークショップに分けられると思う。ファッションはもうそのまま服飾で、NYタイムズの記事に載っている「ワイルド・ワイルド・ウェスト」風おっさん等の画像を見ると何となく想像がつく。これだけ見ると19世紀ないしヴィクトリア朝趣味のコスプレかと思ってしまうが、このLAタイムズの記事ではもっと退廃的というか映画っぽい衣装もスチームパンクとくくられていて、一筋縄ではいかない。スチームパンク・バンド、Abney Parkなどの存在もファッションの延長上としてとらえることができそうだ。

一方ワークショップの方は工作というか、ファッションに合わせて身の回りのものをアール・ヌーヴォー調に改造してみたり、スチームパンク的「発明」をしてみたりというもの。WiredMAKEといった所で取り上げられていることからも察せられるように、どことなくギーク的な香りがする。スチームパンク風スターウォーズスチームパンク風アイアンマンなどの「スチームパンク化」もこっちに入れられそう。

こうして見ていくとファッションにしてもワークショップにしても非常に見た目重視という感じがする。NYタイムズの記事中にも「視覚的アイデンティティの探求がコンセプト」とあるように、スチームパンクにとってこれは最重要問題らしい。この見た目へのこだわりと19世紀への憧憬を重ね合わせると、ヴィクトリア朝時代にアーツ・アンド・クラフツ運動を主導したウィリアム・モリスのことが思い出される。モリスはデザイナーに社会思想家と多面的な活動で知られる人物だけれど、その目的は産業革命がもたらす均質化、生活の質の低下に対抗して生活と芸術の共存をはかることだったという。

そんな連想もあながち的外れではないようで、スチームパンクを通じて現代文明への異議申し立てをしようとする人たちもいる。先に紹介したスチームパンク・バンドAbney Parkのロバート・ブラウンは「衛星写真がこの星をあまりに小さく見せてしまっている」今こそスチームパンクの空想が必要なのだと説いている。またNYタイムズの記事は、スチームパンクが現代の複雑化するテクノロジー、それが引き起こす諸問題に対する「比喩的な対処手段」なのだという。どちらもややノスタルジックな反応であることは否めない。

とはいうものの、このスチームパンクはやはりウェブ上のムーブメントであり、その意味で現代の文化であることは間違いない。先程もギーク文化との関連に触れたけれど、蒸気で動くR2D2を作って動画を公開してしまうような情熱とニコニコ技術部がダブって見えたりとか、スターウォーズやアイアンマンを「スチームパンク化」する手つきと「萌え化」に相似性を見たりとか、そういうのはいくらでもありそうだ。

サイバーパンクに遅れること数十年、21世紀の文化シーンに突然復活したスチームパンク。単なる懐古趣味と片付けず、ちょっと付き合ってみるのも面白いのではないだろうか。

ちなみにアメリカの話ばかりしてしまったが、イギリスでも5ヶ月ほど遅れて2008年10月にガーディアン紙で取り上げられた。この記事によるとイギリスでのスチームパンクはアメリカのようにライフスタイル(!)には至っておらず、音楽の一ムーブメントとして受容されているそうだ。ヴィクトリア朝産業革命の本家本元であるイギリスよりアメリカの方がスチームパンクを持ち上げているというのが面白い。一つ思ったのは、アメリカのDIY文化のようなものとこのスチームパンクは相性がいいんじゃないか。そういえばNYタイムズの記事が5月8日に書かれたのと、5月2日の映画「アイアンマン」の公開を関連付けている記事もある。

長くなったので小説の話は次のエントリで。