Yellow Blue Tibia by Adam Roberts

Yellow Blue Tibia: A Novel
Yellow Blue Tibia: A Novel
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Adam Roberts
Gollancz
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 2009年1月に刊行された、アダム・ロバーツの第10長編。著者のロバーツはイギリスの作家で、ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校で文学を教えるかたわらSFの創作や批評を行っている。アカデミズム畑ということもあってか現在のSFやSFを取り巻く状況について意識的であり、書評でもブログでも辛辣な弁を奮うことの多いロバーツだが、昨年2009年のヒューゴー賞ノミネート作をまとめて「凡庸」と切って捨てた際には大変な騒動を巻き起こした。個人的には今のヒューゴー賞に思うところも多々あるので、ロバーツがジョン・スコルジーを糞味噌にやっつけている所などは読んでいて胸のすく思いだが、一方でロバーツがアーサー・C・クラーク賞を持ち上げるのにはちょっと疑問だ。クラーク賞のノミネート作に挙がっているレナルズやマコーリイが果たしてアメリカSFのような定型に陥らず、常に革新を目指していると言えるかどうか…。その見極めは今後の宿題にするとして、そんなわけで去年からロバーツが気になっていたので、この機会に読んでみることにした。

あらすじ

 終戦直後の1946年のソ連、5人のSF作家が書記長スターリンによって招集された。大祖国戦争に勝利し、戦争こそが人民団結の最良の手段と信じるスターリンは、いずれアメリカをも倒しソ連が世界統一した時に備え、SF作家たちに新たな敵の創造を命じる。全人類の敵、すなわち宇宙人を。虚構の宇宙人の侵略を全人類に信じ込ませるというこの壮大な計画に、SF作家たちは恍惚と不安を覚えながらも取り組んだ。だが計画は始まり同様に突然終わりを迎える。プロットは破棄され、5人のSF作家は沈黙を条件に以前の生活に戻っていった。
 そのSF作家の1人、コンスタンティン・シュクヴォレツキーは戦後の波乱に満ちた人生を生き抜いたものの、今では通訳業で細々と生計を立てるアル中の偏屈な老人だった。1986年のある日、シュクヴォレツキーはあの5人の1人、イワン・フレンケルと出会う。とある政府の機関に務めているというフレンケルは驚くべき話を始める。彼らがかつて生み出したあの宇宙人が現実に地球を侵略しているというのだ。チャレンジャー号爆破事故も宇宙人の仕業だという。フレンケルが偏執狂に取り憑かれていると思ったシュクヴォレツキーは、何とかその場をやり過ごして逃げ出す。
 だが偶然にもアメリカ人ジェイムズ・コインと知り合ったことから事態は急転する。サイエントロジー教会の代表という名目でソ連に入国したコインだが、実は核物理学者であり、宇宙人の侵略に関するある特命を帯びていた。その重大な秘密をシュクヴォレツキーに明かそうとする寸前、コインは不可解な方法で殺されてしまう。第一容疑者として逮捕されたスクヴォレツキーの前に再びフレンケルが現れる。彼の正体はKGBの幹部だった。
 フレンケルの監禁を抜け出したスクヴォレツキーはコインの友人である変人タクシー運転手サルティコフと、やはりコインの連れである豊満なアメリカ女性ドーラ・ノーマンとともにウクライナに向かう。コインが言い残した宇宙人の最初の攻撃目標、チェルノブイリ原子力発電所の4号炉へ…。

感想

 こうして前半部のあらすじだけ書き出してみると、あたかも「20世紀少年ソ連」みたいなスリリングかつサスペンスフルな物語を期待してしまうというか、まさにそう思って読み始めたわけだが、その期待は見事に裏切られた。あらかじめ本書の感想を総括すると、つまらないわけではないが面白くもない。いや、面白くないといってしまうと言い過ぎか。興趣をそそられない。同じか。

 まず小説全体のタッチみたいなものが喜劇的かつ皮肉っぽい。これが著者がイギリス人であることから来ているのか、それとも語り手である主人公シュクヴォレツキーの厭世家で皮肉屋なところから来ているのか判然としないが、とにかくおかげで上記のようなストーリーも至る所で澱む澱む。特に会話は絶好の遊びどころらしく、アメリカ人が登場すればロシア語と英語*1が一方通行なシチュエーションを活かしてトンチキなやり取りが繰り広げられ、民警の尋問シーンは典型的なシット・コムと化し、KGB脳筋エージェントは舌先三寸で丸め込まれおちょくられ……といった具合に延々と空転する。皮肉屋の主人公すら苛立たせる変人サルティコフとのやり取りは既に漫才である。モンティ・パイソンのノリが好きな人にはたまらないのかもしれないが、先述のようなスリリングかつスピーディーな展開は望むべくもない。

 全体がこの調子だから物語だっておそろしくオフビートだ。1986年という世界にとってもソ連にとっても激動の年――作中に挙げられた例でいうと、チャレンジャー号事故、ミール打ち上げ、チェルノブイリ原発事故、ペレストロイカの進展に伴うソ連の瓦解、モスクワ・マフィアの台頭、それから割とどうでもいいがL・ロン・ハバードの死去など――を舞台に*2、それらの出来事を陰謀論的に裏でつなぎ合わせていくのかなと思いきや、そうした細々した設定はどんどん放り出したままとりあえずチェルノブイリ行っとけみたいな話になってしまい、チェルノブイリで一悶着あった後、白昼夢的なシーンがいよいよ増える一方でベタなラブロマンス話が進行。これは一体どうやって決着を付けるんだと思いながら読んでいったところ、最後の最後で明かされる驚愕の真相。
 「宇宙人の量子ほにゃららなテクノロジーによって平行世界がほにゃららだからつまり何でもありなんだよ!」
 「な、なんだってー!?」
 そうですか…。ただただ脱力。いや、現代SFにしては珍しくあくまでSF的大ネタで締めくくろうという趣旨だけは立派だとかなんとか、フォローしようと多少思ったけど、正直どうでもいいよ…。

 そういいながらもこのエントリのために読み返してみると、最初の方で出てきたチャレンジャー号事故の日付が1月9日になっている*3ことに気付いたりして、既に最初の時点から小説内の現実が我々の現実とはずれているんだなと改めて思い返し(まあ、スターリンがSF作家に秘密計画を遂行させたりしてるわけだから)、もう少し丹念に読み返せば初読時の違和感*4もいくつか読み解けるのではないかと思うが、そこまでする気にはとてもならない。

 というわけで再度総括すると、素で読むとしょうもないSFだが、著者が何らかのたくらみを忍ばせているのは間違いなく、ちゃんと読むには丹念な読解を要するが、そこまでつき合うほどには期待を感じさせないという、まことに難儀な小説だった。

 すっかり忘れていたが最後にタイトルについて。「Yellow Blue Tibia」をそのまま発音すると「やるぶるーてぃびゃ」となり、ロシア語で「I love you」の意味になるという。「掘った芋ほじるな」式の愛の告白。でも主人公はロボトミー手術(!)を受けてようやく、この愛に気付くのだった。やはりどうしようもなく皮肉っぽい。

*1:本文はもちろん英語で書かれているのだが、基本的に会話はロシア語で行われていることになっており、英語の会話は[]でくくられている

*2:この小説はシュクヴォレツキーの1986年の回想録という設定になっている

*3:現実では1986年1月28日

*4:例えば会話文のクォーテーションがあったり無かったりすることとか