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The Quantum Thief by Hannu Rajaniemi

Novel Hannu Rajaniemi

The Quantum Thief
The Quantum Thief
posted with amazlet at 10.11.07
Hannu Rajaniemi
Gollancz


 ハートウェル&クレイマーの年間SF傑作選第11集Year's Best SF 11は原書を買い始めたころに買った、個人的に思い入れの深い一冊である。収録作にはグレッグ・ベアブルース・スターリングスティーヴン・バクスターなど当代の巨匠が並んでいるが、それよりむしろここで初めて出会った作家たちの方が印象に残っている。ダリル・グレゴリイはその代表だし、ジャスティナ・ロブスンやアダム・ロバーツも名前は聞いていたけれど実作に触れたのはこれが最初だったと思う。

 その中でも特にインパクトが大きかったのがハヌ・ラジャニエミ"Deus Ex Homine"だった。舞台はいわゆるシンギュラリティが起きてAIと人類が戦争している未来のスコットランド。主人公の青年が元彼女の実家に行くと、そこへ天使型の戦闘マシンに乗った彼女が降りてくる。彼女は身体改造を受け、AIとの戦争に身を投じていた……。こ、これはまるで『最終兵器彼女』ではないか。シンギュラリティ+セカイ系。こんな事を考える作家が海外にもいるのか。素晴らしい。その読み方不明な名前もあり、すっかりラジャニエミという作家は私の脳みそに刻み込まれた。

 そうこうするうち、ラジャニエミが長編を書いているという噂を聞いた。しかも冒頭の24ページを編集者に見せたら出版が決まったといういわくつきである。期待をするなという方が無理だろう。出版が近づくにつれ評判はだんだん誇大化し、ストロスがブログで「イーガンでレナルズでチャン」「ヒューゴー候補」という日本人狙い撃ちかと思うような評を書くに至ってはやや鼻白みもしたけれど、それでも発売が待ち遠しいことに変わりはない。うっかり2冊注文してしまったくらいである。そういう溢れんばかりの期待で読み始めたわけだが……。

 と、忘れていたが著者のプロフィールを。1978年、フィンランドのユリビエスカ生まれ。オウル大学で数理物理学を学んだ後、ケンブリッジ大学フィンランド国防省の研究員を経て、スコットランドエジンバラに移住。エジンバラ大学でひも理論の研究で博士号を取得し、現在自らも共同創設者であるシンクタンクに勤務している。スコットランド在住ということもあって、チャールズ・ストロスなど同地の作家と親交関係がある。ストロスの『アッチェレランド』の謝辞にはラジャニエミの名前が載っている。*1

あらすじ

 「大崩壊」と呼ばれる一部人類のポストヒューマン化が引き起こした大変動以来、太陽系はポストヒューマン諸勢力に割拠されていた。ポストヒューマンの始祖たちを中心とする最大勢力「ソボールノスチ」、かつてプロトコル戦争でソボールノスチに破れた「ゾク」などなど。いまだにヒトとしての肉体と精神にこだわる人々は小さなコミュニティを作り、ポストヒューマンによる無差別アップロードに怯えながら生きていた。

 怪盗ジャン・ル・フランボウはポストヒューマンの盗賊。かつて太陽系を駆け巡りポストヒューマンと人間とを問わず数々の秘宝を盗み出した彼も、今は牢獄に封じられ自分のコピーを相手に永遠の囚人のジレンマを演じさせられていた。だがある日、一人の少女が彼を助け出す。オールトの戦士ミエリと名乗る彼女は依頼主の命を受け、ジャンの手助けをするという。投獄以前の記憶がないことに気付いたジャンは、昔の自分がかけたかすかな暗示を頼りに火星に向かう。

 一方、火星ではヒトとして生きることを選んだ人々が移動都市の上でコミュニティを築いていた。だがソボールノスチの手先であるゴーゴリ海賊たちが人々をアップロード知性=「ゴーゴリ」に変えて連れ去ろうと暗躍する。これに対抗すべくもう一つの勢力ゾクのテクノロジーを借りた一部の人々が覆面自警団ツァディークを結成し、日々ゴーゴリ海賊たちと闘っていた。建築家の学生であるイジドアはたぐいまれな推理力を武器に、ツァディークの1人ジェントルメンと組んで素人探偵を行っていた。いずれはツァディークの一員になることを夢見るイジドアだったが、ジェントルメンにはやんわりと拒絶されてしまう。そんな折、大富豪ウンルーに呼び出された彼は一枚の手紙を見せられる。それはウンルーの死亡記念パーティーに宛てた犯罪予告状だった。

 ジャンの過去、ミエリを裏で操るポストヒューマンの女神ペレグリーニ、予告状、様々な謎が交差するなか、火星の運命を揺るがす大いなる真実が明らかになっていく。

感想

 ラジャニエミの作品は短編でもそうだが、顕著な特徴がある。一つは極端にジャンルSFのコードによりかかった作風である。先日イアン・マクドナルドを取り上げた際に、マクドナルド作品がガジェットを多用するわりには排他的ではないといったが、それとはまさに真逆の姿勢だ。いや現代SFというのは初めは分かりにくいけれどその世界に浸っていくうちにだんだん何をしているか分かってくる、という意見もあるだろうが、私見ではシンギュラリティだとかアップロード知性だとか(そもそも本文ではそういった言葉も使っていない)に対する一定の知識――要はニュー・スペース・オペラの基礎知識みたいなものを最低限分かっていないと、たぶんそれすらも叶わない。その意味ではすごくとっつきにくい小説である。

 もう一つはギーク趣味というかオタ的なノリが全開なところだ。もちろん先輩のストロスやドクトロウをはじめそういう芸風はいまや珍しくもないけれど、そこは世代の差というか、ラジャニエミになると何の衒いもない感じがする。このアメリカ版の表紙があたかもFFのムービーの一シーンに見えてしまうのもあながち間違いとはいえない。主人公はリュパンばりの怪盗で、お供が全身武器で羽の生えた戦闘美少女。そのライバルが頭ボサボサで拡大鏡を持ち歩く名探偵で、相方がナノテク武装の変身ヒーロー。微妙に覚えにくい造語は乱れ飛ぶし、探偵の部屋にはクトゥルーぬいぐるみが転がってるし、ラストは剣でチャンバラだし……このジャンクなごった煮から彼の作品の活力が生まれているのは間違いないし、そういう厨二っぽい設定も含めて好きなのだけど、ふと自分海外SF読んでるんだよな、と思い出してもにょることがなきにしもあらず。勝手な言い分だけれど。

 そういう点を脇に置いておくなら、なるほど本書はラディカル・ハードSFの系譜を継ぐ本格派の未来SFである。本書の主な舞台となる火星で、ジェヴロトと呼ばれる完全情報記憶システムと人生の時間を制御するウォッチという装置の上に組み上げられたヒトとして生きるための社会と、それをジャンがいかにして突破し「あるもの」を盗み出すかというところは社会シミュレーションとしてもハードSF的なネタとしても読み応え抜群だろう。

 しかしラジャニエミの本領はむしろ、そうしたSFアイデアを登場人物の感情に結びつけてドラマを盛り上げるところである。その点、同じネタを扱っている先輩ストロスをストーリー面では凌駕しているといえる。ただ一方で、まさにそこが個人的には不満の種でもある。シンギュラリティとかポストヒューマンとかそうしたものを通じて理解の及ばないものを書いていたはずが結局人間の知性・人間の情動に戻ってきてしまっていて、ハードSFとして一本筋が通ってないと思わずにはいられない。

 いずれにせよ本書は3部作の第1巻である。ジャンの謎もまだ色々残っているし、最後の章が思いっきり次回予告的だったこともあり、何をいうにも時期尚早だろう。しばらくこのシリーズを追っかけてみるしかなさそうだ。

*1:酒井昭伸訳では「ハヌ・ライネイミ」表記になっている。Rajaniemiの日本語表記は何とも悩ましく、ムーミンの国の人なので「ラヤニエミ」かなあ(Tove Jansson=トーベ・ヤンソンなので)という俺理論を考えていたが、ポッドキャストなんかを聞くと思いっきり「らーじゃにえーみ」って言ってるように聞こえるし、もう英語読みでいいですということで本文ではラジャニエミ表記に統一してある。グローバリズム万歳!