Pink Noise: A Posthuman Tale by Leonid Korogodski

Pink Noise: A Posthuman Tale

Pink Noise: A Posthuman Tale

SF情報誌ローカスの1月号を今頃になってだらだら読んでいたら、リッチ・ホートンの短編レビューの中でレオニード・コロドゴスキという聞いたこともない作家のノヴェラが紹介されてるのに気付いた。ホートンによると大傑作というわけではないけれど火星が舞台のポストヒューマンもので、アイデア満載のハードSFらしい。私も最近ではすっかりスレてしまい、ブラーブや書評で遠回しにほめているような類の本には近寄らないぞうと日頃注意しているのだけど、こちらの興味をピンポイントでくすぐるようなその設定、あまりに捨て置けない雰囲気だったので観念して読んでみることにした。なお、Kindle版で購入して紙版より安かったと喜んでいた直後に著者のサイトで無料公開されているのを知った。情弱ェ……。まあ身銭を切ってないと読書の優先順位が下がるから、これはこれでいいか。

著者のコロゴドスキは1966年ウクライナ出身。MITで数学の博士号を修めた。SF作家としての著作はこれが初めてとなる。

あらすじ

遠未来の火星。火星でも指折りの脳外科医であるポストヒューマンの医師ナシは昏睡状態のある少女の治療を依頼される。彼女の記憶を探っていたナシはこの少女が自分の所属するポストヒューマン陣営と敵対し、かつて火星を追放された<火炎放射騎士団>の血統であることに気付く。
それを手がかりに少女を目覚めさせることに成功したナシだったが、同時に自分の秘められた過去を思い出してしまう。所属するポストヒューマン陣営の頂点である<魔術師>たちに記憶を操作されポストヒューマン間の凄惨な戦争と虐殺に荷担してきたことにナシは懊悩し、罪滅ぼしに人質として拘束されているこの少女の逃走を手助けしようと決意する。
一方、木星軌道上に潜伏していた<火炎放射騎士団>の残存兵たちは、少女の覚醒に呼応して火星への帰還を果たそうと一斉に行動を開始する。

感想

つまらない。まる。といって切り捨てたいのを必死に抑えているが、読了後も正直何一つピンと来ないため大変対応に困る本である。はじめての商業作だとか、元々尺の短い本だから十分に物語を展開できていないとか、あれこれ情状酌量の余地はあるかと思うが、それにもまして本作がハードSFと呼ばれていることに対して感じる疑問点がどうにもぬぐえなかった。

この小説の基本的ストーリーは真実に目覚めた男が少女を連れて(主人公は電子的存在なので正確には少女の脳内に入り込んで)脱出するというアクション仕立てのストーリーであり、この小説の「ハードSF」的な側面は作中に登場する数々のガジェットの描写や説明という形で表現されている。例えば主人公が主人公が少女の脳を検査するシーンで語られる脳神経自体が進化と同様のプロセスを取っているという神経ダーウィニズムであったり、<騎士団>が使うプラズマ推進機の描写に重ね合わせて語られるプラズマ宇宙論であったり。なかでも火星のオーロラを貫いて立つ巨大な発電針(中でフライホイールが回転して電力を貯蓄している)というヴィジュアルにはかなり感銘を受けた。私は科学についてはずぶの素人なので書かれた説明が正確かどうかは判断できないし、正確でないにしてもそうしたディティールへのこだわりは高く評価するけれど、一方でそのガジェットに説明がなくても一向にストーリーに支障がないのが気になる。逆に言えばこの話の小説としての部分はサイコダイブだとか宇宙船だとか現代のエンタテイメントに触れていれば直観的にわかるような通俗的なSFアイコン以上のものではないわけで、それってハードSFとしてというか率直にSFとしてどうなのか。

考えてみればこれはストロスやラジャニエミなどの今時の「ハードSF」に共通して感じるところで、豊富な情報をバックに細部に淫する一方で、ストーリーや人間観・世界観については驚くほど普通のままだったりする。ビッグ・アイデア式のSF自体が既に古くさいものとして退けられているとか、商業的にモニョモニョだったりするとか諸事情があるのかもしれないが、New Scientist や Wired の最新面白科学記事のツマでしかないSFストーリーなんてあまりに悲しすぎる。

本書の話に戻れば、記事の最初で触れたリッチ・ホートンの評が「野心的」と称している通りこの小説は決して単なるSFアクションストーリーではない。主人公はアフリカのズールー人の末裔で、このズールー人が地球での血なまぐさい蛮行を逃れて火星に移住したという設定になっているため、本書には至るところにズールー文化への言及がありストーリー上も重要な意味を担っている。またこれは巻末の付録を読んで初めて分かったことだけど、著者は20世紀の科学においてイリヤ・プリゴジンとそれに引き続く複雑系の研究を最も偉大な発見と考えていて、実は先に挙げた神経ダーウィニズムやプラズマ宇宙論においてもピンクノイズ=1/fのゆらぎ(複雑系の重要な概念であるフラクタルの形状を取る)という値が重要な鍵になっているという点でテーマが一貫しているらしい(私の解釈含む)。本当なら実にコンセプティヴだが、せめて作中で分かるように書いてほしかった……。
とはいえ繰り返しになるがどれだけネタ豊かであっても根本が揺るがないものはSFとして寂しい。物語中盤、主人公が自分の過去の行いを思い出し、祖先の記憶の入り交じった精神世界をぐるぐる巡ったあと、最後に出した結論が人間である自分を受け入れることだというのには本当に脱力した。火星まで進出し、ポストヒューマンになって500年を過ごした人類の結論がそれですか。この作品のそうした文学的(修辞的?)側面を詩情豊かとかなんとか評価する評もあるようだけど、ただただ断絶を感じずにはいられない。思えばイーガンはコンセプトの面でも物語の面でも見事だった。

と、例によって大愚痴大会になってしまったが本作のことはこれきりさっくり忘れてこれからも懲りずに理想のハードSFを探求したいと思う次第である。