Deep State by Walter Jon Williams

Deep State (Dagmar Shaw)

Deep State (Dagmar Shaw)

要約

AR(拡張現実)ゲームデザイナーのダグマー・ショウはトルコで撮影された007新作のプロモーションとして大規模なライブARゲームを企画する。おりしも映画の撮影と前後してトルコではクーデターが発生し、軍事政権が樹立されていた。軍事政権の首班ボズベイリから快く思われていないダグマーたちは数々の妨害を受けるが、機転を利かせイベントを無事成功に導く。だがこのイベントの依頼人であるリンカーンが新たな依頼をダグマーに持ちかけたとき、本当のゲームははじまった。
さる米国諜報機関の一員であるリンカーンは、ダグマーたちの能力を見込みミッションを依頼する。それはライブゲーム運営のノウハウを活用することでトルコ民主化の草の根運動を活性化させ、軍事政権を転覆させることだった。だがトルコにはかつて反共政策の一環として西側から多大な支援を受け、今では麻薬マフィアやグレイウルヴズのようなネオ・ファシスト集団を包摂する広大な反民主化の軍事的ネットワーク――ディープ・ステートが存在しており、革命に至る道のりは極めて険しい。ダグマーは自分とスタッフの能力を信じて依頼を引き受ける。
キプロス島の司令室に陣取ったダグマーたちはネットワークと現地スタッフを駆使してデモを誘導していく。大規模なデモを死傷者も逮捕者もなく成功させたことに浮かれ喜ぶダグマーたちだったが、ある日のデモで銃撃事件が発生し無血革命の夢は破れる。さらにその直後ダグマー本人が刺客に狙われ、スタッフにも犠牲者が出てしまう。裏切り者の影、そしてかつて関わったプロジェクトでやはり殺された恋人の悪夢に震えながら、ダグマーは戦いを続けていく。
本作は This Is Not a Game(2008) に続くダグマー・ショウを主人公とする近未来ハイテクスリラーの第二作にあたる。前作の出来事が回想として挟まれることはあるが、基本的にプロットは独立している。近未来といいながらほぼ現在と変わらない世界を舞台にした本作は、近年のイランやエジプトでのソーシャルメディアを通じた民主化運動の高まりのSF的反映といえるが、それをゲーム会社主催CIA(とは直接書いてないが)後援のスパイ大作戦として書いてしまうあたり、良くも悪くもこの著者の本領が発揮されている。SFとしては薄味で若干筋が悪いところもあるが、現代的なディティールをふんだんに盛り込んだ痛快ハイテク/ポリティカルスリラーとして良作である。

感想

前回の Zendegi でゲーム分が十分に摂取できなかったので、続けてゲーム小説を、と思いウォルター・ジョン・ウィリアムズの Deep State を読んだ。近未来のトルコを舞台にしたということで、マクドナルドの The Dervish House などと比べてみたいと前々から気になっていたというのもある。しかし本当の動機はといえば、そもそも昨年チャールズ・ストロスがラジャニエミの The Quantam Thief と並べて絶賛していたのを読んだせいだった。ラジャニエミのほうはまあストロスの後輩みたいなものだから身内贔屓も入っているだろうが、ウィリアムズを誉めているのは Deep State が本物の傑作だからではないだろうか……などと考えながら本を開いたところ献辞のページで謎が解けた。
スコットランド英語指南:チャールズ・ストロス」(←こう書いてあったわけではないが)
そういえば確かにスコットランド弁をしゃべるボンド俳優が出てきていた。

さて実際の内容についていえば意外といったらアレだがなかなか面白かった。概要でも述べたとおりSFというほどにエクストラポレーションを加えてないのだけど、むしろその地に足の着いた発想が面白い。最初こそARゲームの話のはずなのにARの描写が全然出てこなくてどうなってるんだ! と思ったが、考えてみればその辺はおそらく前作のほうで書いてしまったので重複させないようにしたのだろう。
序盤を過ぎ、トルコ革命支援のパートに入ると俄然面白くなってくる。スパムメールに隠した暗号で日時と場所を参加者に伝え、そうして動員した参加者達に花やハンカチで即興のモニュメントを作らせ達成感を与える。ラジコン飛行機にカメラを積んだ簡易ドローンで警察や軍の動きを察知し、検挙される前に解散してしまって尻尾をつかませない。リアルタイム放送やストリーミングは当然のこと、デモの記録はARとして再構成してその場を訪れた人間がいつでも追体験できるようにする。こうしてデモ参加への敷居が次第に低くなることで、革命運動は急速に広まっていく。ライブゲーム運営のプロであるダグマーが仕掛けたのは、いわば革命のライブゲーム化だ。こうした現実をゲーム的にとらえデザインすることで営みを活性化することをゲーミフィケーションというそうで、今流行っているらしい。最近ゲームを題材にしたSFが増えているのもそのせいかもしれない……というのは機会を改めて書きたい。
また革命の背景として語られるトルコ各地の情景もなかなか魅力的に描かれている。イスタンブールが主に舞台の The Dervish House に対し、本作の舞台はむしろ首都であるアンカラなのであてが外れてしまったが。
しかし、そういった数々の美徳も中盤以降、展開が進むにつれどんどん後退していって月並みなスリラーになってしまうのがちょっとばかし残念なところである。情報量が増えるのに反比例して登場人物も世界観もペラくなってしまうというのはこういう小説の宿命なのかもしれないが、正直最後の100ページくらいは読むのつらかったよ……。
そういうわけで無駄に長い、という現代SFにつきものの欠点を抱えつつもトータルとして現代性も盛り込まれ、それなりの魅力を抱えた佳作ぐらいにはいってもいいと思う。ドクトロウの『リトル・ブラザー』などが好きな向きには特にお薦めである。