私選00年代海外SF傑作選を編む(3)

ウィルスンに続いてカナダ勢から、00年代のハードSFシーンで注目度を高めたピーター・ワッツを取り上げたい。

ピーター・ワッツ(1956〜)

00年代の代表作

既にSFマガジンで2作ほど短編の邦訳があるが、著者について少し説明を加えておきたい。本業は海洋生物学者であり、90年代はじめからSF短編を発表、1999年には初の長編Starfishを上梓する。この作品は続くMaelstrom、Behemoth(2分冊)と三部作を構成している。その後、2006年の単発長編Blindsightがヒューゴー賞はじめ多数のSF賞候補に挙がったことから飛躍的に注目を集めるようになった。
ワッツの作品は非常にアクが強い。登場人物はたいていどこか壊れた感じの社会的フリークで、テーマは著者の専門が反映されているのか生物学的見地から人間の倫理や自由意志とテクノロジーの衝突を取り上げることが多い。こう書くとイーガンっぽい作風を想像するが、ワッツの場合は登場人物が登場人物なだけにストーリーは厭世的・破滅的な方向に傾いていく。科学的専門用語と不穏な熱気に満ちたスタイリッシュな文章もそれに拍車をかけている。著者自身はペシミズムの作家と思われることは心外らしい*1が、正直暗い作風という大方の評価は否めない。
しかしBlindsight以降、暗いだけの作家でないことが徐々に認知されはじめてきたようだ。私見ではこの評価のきっかけは、人間以外の知性というSF的には古典的なテーマを改めて取り込むことにあったように思う。ファーストコンタクトSFだったBlindsightや「島」では、異質な生命のあり方を描くことで人間の生物的などうしようもなさを一歩引いた地点からみるバランスが生まれている。
いずれにせよようやく正当な評価の定まってきた作家である。10年代にはさらなる傑作が生まれることに期待したい。

候補作
  • "Mayfly"(2005)※デリル・マーフィーとの共作 ☆☆★
    • ナロ・ホプキンスンほか編アンソロジーTesseracts Nine初出、ショートストーリー
    • ドゾワ編The Year's Best Science Fiction 23th収録
    • 脳が不完全な状態で生まれた少女ジーン。両親は何とか彼女を生かそうと、データ化したDNAから電脳空間上で脳を発達させる実験を依頼し、意識の目覚めに成功する。だが電脳空間から低速の生身の脳に戻されることはジーンにとって地獄を意味していた。テーマ的・語り口的にいかにもワッツらしい物語。デリル・マーフィーはどのあたりに関わっているのだろう?
  • "Repeating the Past"(2007) ☆☆★
    • ネイチャー2007/11/29号初出、ショートショート
    • ハートウェル編Year's Best SF 13収録
    • 非行を繰り返す孫にホロコーストの生き残りである生物学者の祖父が行ったある処置とは。ショートショートにも関わらず普段とトーンがまったく変わらないのがある意味すごい。この話のように状況に思いあまってテクノロジーによる根本解決を図ろうとするのが著者の言う大きな悪を避けるため小さな悪を選ぶということなのだろうが、それって悪役の論理という気がしないでもない。
  • "The Eyes of God"(2008) ☆☆★
    • ジョージ・マン編アンソロジーThe Solaris Book of New Science Fiction Vol.2初出、ショートストーリー
    • ホートン編The Year's Best Science Fiction & Fantasy 2009収録
    • 脳の原始的な部分から欲求を読みとったり、逆に外部から意志を抑制することが可能な技術が開発された近未来。空港の脳スキャナーの列に並ぶ男の胸にはかつて子供の自分が児童性愛で告発した神父のことが去来していた。セキュリティを求めるあまり人々が意識下の検閲を認めてしまうという、9/11以降の群衆心理を問いただす問題意識は鋭いが、中心になっているのが宗教的な罪の感覚なので何とも評価しづらい。
  • 「島」"The Island"(2009) ☆☆☆☆
    • SFマガジン2011年3月号訳載
    • ドゾワ&ストラーン編アンソロジーThe New Space Opera 2初出、ノヴェレット
    • ドゾワ編The Year's Best Science Fiction 27th、ストラーン編The Best Science Fiction & Fantasy of the Year Vol.4、ハートウェル&クレーマー編Year's Best SF 15、ホートン編The Year's Best Science Fiction & Fantasy:2010収録
    • ポストヒューマンの先導役としてひたすら宇宙を駆けワームホールを建造し続ける宇宙船の乗組員が次の建設予定地の近くで目覚めた時、目前の恒星からは奇妙なサインが送られてきていた。宇宙SFとしてある種の風格を備えていることだけでなく、ワッツ作品としては意外なほどハートフルな展開であることも注目。ヒューゴー賞受賞。
    • なお、00年代に出版されたSF傑作選の収録作は600作を越えるが、4つの年間傑作選に収録されたのはこの「島」だけである。アンソロジーに発表されたあと著者のウェブサイトでもCCライセンス下で公開されたが、冒頭が一部書き直されている。ドゾワ、ハートウェルおよび邦訳は初出アンソロジー準拠、ストラーン、ホートンはウェブ公開版準拠となっている。
結論

ここは「島」一択だろうか。しかし前回の"Utrisque Cosmi"に続くニュースペースオペラアンソロジー初出作品となるので、今後は傾向が偏りすぎないよう自覚しておきたい。

*1:ローカス誌2008年3月号のインタビューより。著者の弁では作品のトーンが暗くなるのは現在から敷衍した明るい未来が描きにくいからで、登場人物達もまた大きな悪を避けるため小さな悪を選ぶ高貴な人々なのだとか。