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SF雑誌が2つ出た/Hannu Rajaniemi "Topsight"

 いいかげん再会させようとずっと思っていながら、すっかりこのブログも放置してしまっていた。そもそもブログをやっている理由はかっちりした内容の文章を書きたいという思いからだったのだけど、このままだとどうも遠ざかるばかりなので、しばらくはリハビリがてら短編の感想とか海外SFへの雑感とかそうした簡単なものを小まめに更新することを目標としたい。そういったところでだんだんフェードアウトしていくのが容易に想像できるのだが……。
 さて周知の通り英米圏ではSF出版の電子化がすっかり定着しつつあるわけだけど、昨年から今年にかけて興味深いSF系雑誌が刊行された。一つはポピュラーサイエンス誌NewScientistの増刊として生まれたArc、そしてもう一つは正確には雑誌といえないかもしれないが、技術系情報誌MIT Technology ReviewによるアンソロジーTRSF*1
 この2誌の特徴はなんといっても現実の科学技術を追っている雑誌がSFの専門誌を立ち上げたことだ。もちろんNewScientist誌は以前からSF特集を組んだりしているし、Technology Review誌もイーガンの「スティーヴ・フィーヴァー」をはじめSF短編を不定期に掲載していたわけで、元からそういう傾向はあったわけだけど、一冊本を出すとなるとまた話は違ってくる。
 電子化で発行の敷居が下がったとか、新規顧客の開拓とか、個別の事情はあるのだろうが、個人的にはSFと現実の距離の仕切り直しという00年代の一つの流れと関連づけて考えたい。思えばジェフ・ライマンらが主導したマンデーンSF運動も「現在の科学の最先端の成果を生かすことで新しいSFの形を模索する」ことを志向していた運動だった*2。そういった際、SFから科学やテクノロジーを扱うメディアに接近する場合はよくあるが、向こうからSFに歩み寄ってくれる、あるいは何か期待されているというのが興味深いところだと思う。そこでふと思い出すのが、しばらく前に山形浩生氏がSFの想像力が現実に影響を及ぼせるという発想について戒めていたこと。私も氏の意見はもっともだと思うが、それでもSFに何かが期待される状況というのは悪くないと思った。日本もそうなってほしい……とは別に思わないけれど。
 前置きが長くなりすぎてしまったが、今回は先述のArcの創刊号1.1に掲載されたハンヌ・ライアニエミの短編"Topsight"の感想を書きたい。ライアニエミは以前に感想を書いたこともあるが、フィンランド出身英国在住のSF作家。今年10月に新☆ハヤカワSFシリーズで長編『量子怪盗』の翻訳が予定されている。"Topsight"はいかにも彼らしい(ポスト)サイバーパンク路線を現代流にアレンジした作品。

フィンランド人の少女クオヴィは親の仕事の都合で英国の沿岸地域に暮らしている。そこでアフリカ系の少女ビビと知り合うが、彼女は何の前触れもなく溺死体で発見される。残されたクオヴィは彼女のヘイロウ(輪っか型の携帯情報端末)を見つけ、彼女がよく使っていたTopsightというアプリを起動する。

 ややネタバレ気味にいってしまうと、これはギブスン「冬のマーケット」の現代版だ。しかしビビが向かったのは抽象的な電脳空間の彼方ではなく、ソーシャルメディアとモノのインターネットが織りなすこの世界の写し絵、万物のログの世界だ。SFに繰り返し現れるモチーフを現代のテクノロジーを介してイメージを刷新する、SFと科学雑誌のコラボレーションにそんなねらいがあるとすれば、この作品はそれに十全に応えている。

*1:今のところ続刊の告知はないのだが、イーガンのサイトのForthcoming Workに"Zero for Conduct"という短編が件のTRSF収録予定となっているため密かに期待している。というかイーガンのが出てもらわないと困る

*2:マンデーンSF自体は際だった成果は残さなかったものの、ライマンはその後も科学とエンタテイメントの相互の交流を提案していたりして基本路線は変わっていない