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京フェス2012「ロシア&東欧・北欧の部屋」メモ

Column

10/6に行われた京都SFフェスティバルの合宿で、ロシア文学の研究者である宮風耕治さん・松下隆志さん、そしてSFレビュアーの橋本さんと「ロシア&東欧・北欧の部屋」という企画を行いました。名前の通り、未訳だけれど注目すべきSF・ファンタジイの話を専門家に伺うという趣旨の企画です。私はもちろん非英語圏のSFについては専門ではないので、英語を通して知った東欧・北欧のSF情報で細々と援護射撃につとめていました。以下はそのとき話した内容のメモです。


ポーランドSF(スタニスワフ・レムのトリビュート作品)

以前このブログでも取り上げたレムのトリビュートアンソロジーからポーランドの作家による作品2作を取り上げました。

Lemistry: A Celebration of the Work of Stanislaw Lem

Lemistry: A Celebration of the Work of Stanislaw Lem

一つ目はヴォイチェフ・オーリンスキの"Stanlemian"。オーリンスキは1969年生まれの作家・ジャーナリスト。英ウィキペディアの記事によると90年代から散発的にSF短編を発表しているほか、レムに関するノンフィクションを書いているようです。
この短編はレムが1964年のエッセイ『技術大全』でヴァーチャル・リアリティについて「現実とVRが区別できるようにならない限り、VRは商業化に適さない」と述べていることを受け、どういう理屈かはさておき現実と区別可能になった第二世代のVR「スタンレミアン」が開発された世界を舞台としています(ちなみに現実と区別できない第一世代のVRは「フィルディッキアン」と呼ばれる)。
ラスベガスのカジノで話題のVRゲーム、それは80年代のウォール街を再現したVR世界で投資を行うというものでした。稼いだお金は出発点まで持ち帰れば現実世界に持ち越せますが、ゲームの中では他人を襲撃して奪うのも許可されているのでそう簡単にはいきません。主人公はプロの運び屋で、依頼人が以前このゲーム内で稼ぎ隠しておいた大金を持ち出す任務に臨みます。順調にいくかに思えましたが、金を引き出した直後、依頼人の元恋人とカジノの司会者のコンビによって隙を突かれ金を奪われてしまいます。レムのアイデアを少し拡張した普通のSFかと思いきや、最後にはかなりストレートに「レムすごい!ポーランドの誇り!」みたいなレム礼賛になるあたりが面白いです。
もう一つのヤチェク・ドゥカイ"The Apocrypha of Lem"の内容については以前書いた記事を参照。橋本さんと「ドゥカイヤバい、マジヤバい」と連呼していました。

デンマークSF

こちらは時間がなくて話しきれなかったもの。デンマークのSF作家グループ Science Fiction Cirklen が自分たちで英訳した自国SFのアンソロジー Sky City を紹介する予定でした。このグループは2007年から国内SFの年間傑作選を編んでおり、その2007年と2008年を合わせて英訳したものがこのアンソロジーです。

Sky City

Sky City

この巻末にSF研究者であるニールス・ダルガアドによるデンマーク短編SFの歴史が短くまとめられているので、これをご紹介しましょう。

デンマーク短編SF小史

ヨーロッパの他の国々と同じく、デンマークでも18〜19世紀にかけてユートピア文学・未来技術の文学が描かれましたが、以下は第二次世界大戦後、20世紀後半以降の話となります。
1950年代、コカコーラやコミック、ロックンロールなどアメリカ文化とともにパルプSFがデンマークに流入しますが、広範な関心は得られませんでした。むしろ受け入れられたのはブラッドベリハインラインなどスリック誌に寄稿していた作家たちで、ことにブラッドベリは『火星年代記』や『刺青の男』が新聞の日曜版に翻訳掲載されたことから、同国でのSFの代名詞になっているといいます。ブラッドベリのペシミズムやメランコリーに影響されたニールス・E・ニールセン(1924〜1993)やその模倣者たちが現代デンマークSFの始祖となりました。50年代後半にはペーパーバックやSF雑誌が出版されましたがいずれも支持を得られず衰退していきました。このように、デンマークではSF専門誌のようなメディアが根付かないため、明確なSFの伝統が見えにくくなっているという傾向があります。
1960年代、親米路線だったデンマークではアメリカの宇宙開発が熱心に紹介され、そこから宇宙を舞台にした作品、アメリカSFでいうスペースオペラのような小説も描かれるようになりました。一方で、主流文学における実験の一環として英国ニューウェーブの影響を受けたSF風の作品が登場します。このアメリカ由来の宇宙エンタメ路線とイギリス由来の文芸SF路線は対立し、やがて後者が文壇で優勢なことから前者は姿を消してしまいます。1969年、スカンジナビアの大手新聞社数社が合同で後援したSF短編コンテストが開催されますが、デンマークから選ばれた14作の中に宇宙旅行を扱ったものは一つも含まれていませんでした。
70年代・80年代には新たなペーパーバックの叢書やSF雑誌が散発的に生まれたりするものの、おおむね上記の状況の延長上にありました。SFへの関心が低下したり、文芸の政治化が進んだりしたこともあり、唯一ヨーロッパの伝統を受け継ぐユートピア文学だけがアカデミックの枠内で細々と続いていました。一方、80年代以降(サイバーパンクなど)海外でのSFの発展につれ、デンマークのSF読者は英語で情報を求めるようになりました。またSFに限らず短編小説のマーケットが存在しなかったことから、この時期の主要な短編SFの多くはファンジン上で発表されたといいます。
90年代、インターネットの登場、そして印刷技術の向上により状況は劇的に変化を遂げます。ネット上にファンダムが移行するにつれ、作者と読者の自給自足的なコミュニティが急速に編成されていきました。一方、プリント・オン・デマンド技術が一般化することで、SFのような少部数出版を細々と続けていくことも可能になりました。またヨーロッパ全体の傾向として、小説にSF的なモチーフが含まれることもいまや珍しくありません。とはいえ、著者はジャンルSFはいまだ大部分が内輪の文学、アンダーグラウンドの文学に留まっていると結論づけています。

さて肝心の収録作ですが、英語圏のSFでスレてしまった目から見るといささか物足りない作品が多いのも事実です(文明崩壊後の世界で蛮族に襲われる話とか、完璧なロボットを人間の非合理性で出し抜くとか、反共政策への恐怖を描いたりとか)。ここではその中でも比較的個性の豊かなケネス・クラバート(1963〜)の"The Short Arm of History"をご紹介しましょう。
トンネルの掘削工事中に、地中から奇妙な機械が見つかります。科学者たちが研究の結果、この世界は生物を生きたままどこか別の世界へ送り込むらしい(ただし戻ってきて証明したものは誰もいない)ことが分かります。マスコミがこれを「生物に最も適した世界へ送り込む」と喧伝した結果、国中からユートピア願望に憑かれた人々がひっきりなしにやってくるようになります。主人公も仕事を辞め、はるばる機械のある洞窟にやってきますが、そこで機械を作動させるためにいくつもあるボタンを特定の組み合わせで押さなければならないことが分かります。主人公は様子を伺うため、機械の中に人が入るのを手助けするボランティアをしばらく行うのですが……。
ジャンルSFというよりは主流文学に近い作風ですが、機械にたどり着くまでの洞窟の中で行き倒れて天井まで積み重なった人間の山を通り過ぎるという悪夢的な情景や、機械で理想の世界に行くために「上段左端のボタンを押した後、ランダムに6つのボタンを押す」というコマンドがまことしやかに伝わっているなど、ディティールの積み重ねがうまく描かれていて凡庸なジャンルSFよりは頭一つ抜けている感じを受けます。全体に漂うシュールな感覚がいかにもヨーロッパのSFという印象です。