トム・スイフト100周年

ジョージ・ジョンソン量子コンピュータとは何か』の中で著者の少年時代の愛読書に『トム・スイフトの冒険』が挙げられている*1のを見て、ふと2010年はトム・スイフト刊行100周年にあたると気付いた。100周年といったら1世紀なわけで、これはちょっとしたものである。現代英米SFの起源をガーンズバックとするなら、現代SF以上の歴史を持つことになる。
「トム・スイフト」シリーズは1910年、少年少女向け読物の著者として知られるエドワード・ストラテマイヤーによって生み出された。実際の著者名はビクター・エイプルトンとなっているが、これはストラテマイヤーが経営していたクリエイター集団の共同ペンネームであり、シリーズがストラテマイヤーの手を離れた後も伝統的に使われ続けている。物語は機械いじりの好きな少年トム・スイフトが様々な困難を知識と機転を駆使して切り抜けていくうちにやがて一人前の発明家になっていくというもので、こう要約するとハインラインのジュヴナイル作品みたいだが(そして実際ハインラインも「トム・スイフト」を読んでいたようだが)、内容的には人間ドラマや巧妙なプロットよりも最新テクノロジーのもたらすワクワク感に重点が置かれているらしい。男の子的というのか。第1作 Tom Swift and His Motor-Cycle をはじめ、初期の作品は「トム・スイフト+機械・発明品」という題名になっているが、これは故・野田昌宏氏による紹介でも有名な「フランク・リード」シリーズなどの、19世紀のダイム・ノベルの1ジャンルである発明家とその発明品を使った冒険物語を意識していたのだろう。*2
Wikipediaシリーズ刊行リストによれば、1910年から1941年まで書き続けられたあと戦争中にいったん刊行が止まるが、戦後の1951年から「トム・スイフト・ジュニア」シリーズとして再び再開される。その後も何度も休止をはさみながらシリーズは断続的に書き継がれており、最新刊はなんと2007年に出版され、相変わらず著者はビクター・エイプルトン名義である。しかしさらに驚くべきはAmazon.comなどでTom Swiftと検索すると最新刊と同時に1910年に書かれた第1作の新装版が上がってくること。100年前の本でもまだ色褪せないものがあるということだろうか。日本で考えると押川春浪の「海底軍艦」と東映の「海底軍艦」と角川の「新・海底軍艦」が揃い踏みしているようなもので……これは例えがしょっぱかったか。
ともあれ、「トム・スイフト」が長年にわたって多くの読者を惹きつけてきたのは間違いないようである。冒頭に紹介したジョージ・ジョンソンのように、このシリーズに少なからず影響されて科学関係の道を選んだ人もいるほどだ。SFを読んで科学者になった、宇宙関係の仕事に就いたという人もいるだろうから別段不思議なことではないけど、「トム・スイフト」の読者は発明家の主人公に憧れるだけあって、普通の科学者・エンジニアよりももっと独創的な路線を突っ走るような気がする。そんな中でも代表格が、Appleコンピュータの開発者スティーヴ・ウォズニアックと、発明家でありシンギュラリティ理論の主唱者であるレイ・カーツワイル。特にカーツワイルにとって「トム・スイフト」は彼の中心的な哲学を成している。

八歳のころ、トム・スイフト・ジュニアのシリーズ本を発見した。(中略)このシリーズから教わることは、至って単純だ。正しいアイデアには、一見すると手も足も出ないような難題を解決する力がある、ということだ。
それから今に至るまで、わたしは、この基本的な考え方を強く信じている。仕事上の問題、病気、人間関係、さらには、現代の科学や社会や文化における大問題など、どんな困難に遭おうとも、それに打ち勝つことのできるアイデアがあるはずだ。そのアイデアは、きっと見つかる。*3

こういった信念からカーツワイルの妙に楽観的なシンギュラリティ観、ポスト・ヒューマン観が生まれているのだろう。ある意味では「トム・スイフト」とカーツワイルを仲立ちにして19世紀的な科学進歩史観と21世紀のシンギュラリティ理論がつながっていると見ることもできるかもしれない。ここから最近のスチームパンク・ムーブメントにもある種の説明を加えられそうな気もするが……。
閑話休題。子供向けの冒険読み物としては今やヤングアダルトというのが一大市場を気付いているわけで、その中にはSF的な作品も多々含まれているのだろうけど、私見(偏見)ではファンタジイとの境界作品やディストピアものが大勢を占めている感がある。トレンドであるとか、個人の自立を描くYAというジャンルがディストピア的背景を必要としているとか色々あると思うが*4、科学やテクノロジーをせっかく扱っているのに主人公ひいては読者がそのプラスの可能性に思い至らないというのは何となく残念な気がする。そこで「トム・スイフト」ですよ!というわけでもないが、こういうテクノロジーを肯定的に扱った子供向け作品が21世紀にも書かれたり読まれたりしていることに心強いものを感じるのだった。

そういえば、バリー・ソネンフェルド監督による映画化の話も出ているらしい。「ワイルド・ワイルド・ウェスト」の監督なら合いそうな気もするけど、上記記事では映画化権が売れたとしか書いてないので、よくありそうな流れ話になりそうな気もする。

戦前に書かれた初期の「トム・スイフト」シリーズについては、プロジェクト・グーテンベルグ等のサイトで公開されている。一つ読んでみたが、途中で興味が続かず挫折した。SFじゃねえ…。

*1:ジョージ・ジョンソン量子コンピュータとは何か』p.31

*2:批評家ジョン・クルートはこうした作品を一括して「エジソネード」と呼んで考察を加えている。

*3:レイ・カーツワイル『ポスト・ヒューマン誕生』p.5

*4:もちろんディストピアというくくり方自体が乱暴すぎるわけで、同じ管理社会の中で生きる少年少女を描くにしても、スーザン・コリンズとコリイ・ドクトロウではだいぶ違うだろうと。ここでは管理社会という世界設定を使ってしまうこと自体を指しているので、作品ごとの特徴についてはご容赦。