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高慢と偏見とフランケンと…

Column

高慢と偏見とゾンビ(二見文庫 ザ・ミステリ・コレクション)
ジェイン・オースティン セス・グレアム=スミス
二見書房
売り上げランキング: 40774


 セス・グレアム=スミス『高慢と偏見とゾンビ』が流行っているらしい。そういう本が出たというのは風の噂に聞いていたが、まさかこうも早く邦訳されるとは思わなかった。映画化とかが関係しているのだろうか。ものの話によればオースティンの原作小説の合間にゾンビやらカンフーやらが出てきてどうとかこうとか……マッシュアップとかそういう説明はともかく、確かにちょっと気を引かれるものはある。読んでいないのだけど。

 私が気になるのはむしろ、ここで取り上げられているのがジェイン・オースティンだということである。もちろんオースティンと言えば英文学の古典中の古典だから、こういうお遊びにはもってこいなのかもしれないが、私見ではこれは00年代中盤から後半にかけて延々と続く文化横断的な19世紀趣味――ネオ・ヴィクトリアーナとかスチームパンクとか、小説のサブジャンルとしては様々な形を取るが、根は同じだろう――の一つの現れなのではないかと思う。SF/HR界の重鎮ダン・シモンズが『〜ゾンビ』の刊行と同じ2009年にやはり英文学の古典であるチャールズ・ディケンズの未完の遺作『エドウィン・ドルードの謎』を題材とした長編 Drood を出したのは、決して偶然ではないだろう。

 そんな憶測を頼りにSF/FT畑を見渡してみたところ、2008年にオースティンの小説を題材にした小説が2つばかり見つかった。ここではそれらを紹介してみよう。
 

"Pride and Prometheus" by John Kessel

 ジェーンとリジーが嫁いでいった後も、ベネット家には三女メアリーと四女キティが残っていた。姉たちのような分別も妹たちのような積極性も持てないまま歳を数え、なかば捨て鉢になっていたメアリーだが、ある舞踏会の折、スイスから来た紳士ヴィクター・フランケンシュタインと知り合う。どことなく陰のあるこの青年にメアリはかすかながら惹かれるものを感じる。
 肺を悪くしたキティの療養のため、ダーシーの領地ダービーシャーに赴いたメアリーはそこで再びフランケンシュタインと出会う。故郷に許嫁がいながら帰省をためらっているという彼に、メアリーは柄にもなく積極的にアプローチする。だがある晩、彼が涙ながら語ったのは、恋愛事とはあまりに縁遠い奇妙な物語だった…。

 タイトル通り、『高慢と偏見』と『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』というほぼ同時期*1に書かれた2つの小説を題材に取った作品。初出はF&SF誌2008年1月号で、同年に刊行された短編集 The Baum Plan for Financial Independence and Other Stories に収録された。英文学の名作と、名作ではないにせよゴシック小説の金字塔の融合を試みるあたり、大学で文学を教えているというケッセルらしい発想といえる。
 『〜ゾンビ』にもまして予習の必要な話だが、ざっくり説明すれば次のようなシチュエーションである。
 作り出してしまった「怪物」を捨てて逃げ出したフランケンシュタインは、色々あった後スイスの故郷に帰るが、そこで「怪物」と出会い、末の弟を殺される。これ以上犠牲を出したくなければ自分の伴侶となる女性の「怪物」を作れと脅迫され、フランケンシュタインはその約束を果たすべくスコットランドの秘密の隠れ家に向かう。その途中でイギリスの各地を回るのだが、そこに『高慢と偏見』の後日譚を絡ませる…という寸法である。
 マッシュアップとかではなく、作中の人物や背景を活かしたごく普通のオマージュ小説であり、ゾンビとかと比べると食い足りないものもあるだろうが、原作の設定を無理なく活かした丁寧な物語作りは単純に素晴らしい。特に「怪物」とメアリが対面するシーンで、自分は世界にたった一人の孤独な存在だ、だからフランケンシュタインに同族を作ってもらうのだと主張する「怪物」に、メアリがいわば「独身者」の先輩として強烈な一言を放つところなどは、原作の読み方が変わるほどにハッとさせられる見事なシーンだと思う。おすすめ。
 個人的にはどうでもいいことなのだが、一応2009年のヒューゴー賞ネビュラ賞、シャーリイ・ジャクスン賞の各ノヴェレット部門および世界幻想文学大賞のショートストーリー部門にノミネートされ、このうちネビュラ賞とシャーリイ・ジャクスン賞は受賞した。立派立派。

フランケンシュタイン (創元推理文庫 (532‐1))
森下 弓子 Mary Shelley
東京創元社
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"Sense and Sensibility" by Benjamin Rosenbaum

 ダッシュウッド家は巨人の肩の上にいるモグラの上に建っている。ダッシュウッド氏は健在だが「自分は死んだ」と言い張り墓の中から出てこない。それでもダッシュウッド夫人と3人のミス・ダッシュウッドは楽しく優雅に暮らしていた。ある日、巨人の大臼歯に住んでいるダッシュウッド氏の母親から急な呼び出しがあり、夫人と3人のミスは出かけることになる。マルクス主義者の運転するケーブルカーや知り合いの馬車に乗り合わせて、ようやく旧ダッシュウッド邸に着いてみると…。

 2008年に刊行されたベンジャミン・ローゼンバウムの短編集 Ant King and Other Stories の書き下ろし短編である。例によってあらすじをまとめてみようとしたが、書いていてほとんど意味がないことに気が付いた。いつものローゼンバウムの小説のように、シュールでメルヘン(メンヘル?)なイメージとナンセンスな物語や登場人物、あと意味不明なギャグでできている。こういうの苦手だなあ…。
 タイトルがそのまま『分別と多感』となっており、なるほど主役がダッシュウッド家の面々というところまでは原作通りなのだが、そこから先は既にカオス。舞台も意味不明なら、主人公であるダッシュウッドの娘達の紹介も、

 ダッシュウッド夫人には3人の娘がおり、ふだんはミス・ダッシュウッド、ミス・ダッシュウッド、それにミス・ダッシュウッドと呼ばれていたが、これは当時の慣習による。

名前ないんかい!と、この有様。三女(原作ではマーガレット)の描写に至っては、

…一番下のミス・ダッシュウッドは完全な球体で、淡い青色のすばらしい色合いで塗られており…

人間ですらないんかい!全編是ツッコミ待ちと言えよう。
 これに加えて語り手が途中からメタっぽい視点で何のかんの言い出して、やれ作者の介入という手法もSF雑誌ならジョン・バースとか知らないだろうからいけるだの、やれヒューゴー賞獲りたいだのどうでもいいことをのたまったあげく、最後には本筋のストーリーを投げ出す(そっちも既にどうでもいいことになっているのだが)。「うわー作者殴りたーい」という気分になること請け合い。ゾンビマッシュアップよりこっちのがより悪質な文化破壊と言うべきではないだろうか。
 そういうわけでぶっちゃけ話すほどのことは何もないのだが、ただ一つだけ気になったのが、ヒロインの二女(原作ではマリアンヌ)が最後に結局結婚できないところ。思えばケッセルの方も最後メアリーは結婚できないまま話は終わる。これは現代のSF作家からのオースティン的恋愛に対する返答なのだろうか?あるいは嫌がらせとか…。

分別と多感 (ちくま文庫)
ジェイン オースティン
筑摩書房
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今回は関係作品のリンクを張ったらアサマシ臭くなってしまった。その埋め合わせというわけでもないけれど、実は上記2作(の収録短編集)はCCライセンス下で電子版が無償公開されているので、以下はそのリンク。同じFeedBooksのサイト内にはもちろん『高慢と偏見』も『フランケンシュタイン』もあるので、原作との読み比べも可能。恐ろしい時代になったものだ。でもまあ、ローゼンバウムは読まなくていいよ。

The Baum Plan for Financial Independence and Other Stories by John Kessel
The Ant King and Other Stories by Benjamin Rosenbaum

*1:前者は1813年、後者は1818年