The Clockwork Rocket by Greg Egan

The Clockwork Rocket (Orthogonal)

The Clockwork Rocket (Orthogonal)

要約

我々とは違う宇宙に存在する、ある惑星に住む知的生物たちの物語。主人公ヤルダはつがいとなる相手を持たずに生まれてきた「孤体」で、人一倍大きな体をしていた。それが元でいじめられもしたが好奇心は誰よりも強く、やがて学問の道を志す。彼女がとりわけ惹かれたのはこの世界にあまねく存在する光の研究だった。星々の軌跡を示す虹色の光。石を燃やすとエネルギーとともに生まれる光。そして祖父の命を奪った光。
大都市ズーグマの大学で学ぶヤルダは先達の研究者ネレオの研究に触発され、星々の光から光の波長と速度の関係を調べることを思い立つ。「無双」山の天文台にこもり観測し続けた結果から、彼女は光の時間的な周波数と空間的な周波数に幾何学的法則が成り立つことを導き出す。それは時間と空間という区別を覆す新たな世界観の発見だった。
一方、この星の空に奇妙な彗星が増加していた。ヤルダは自分の発見した宇宙観から推測を重ね、その彗星の正体が原初の宇宙から枝分かれした、自分たちの星団の時間軸に直交する別の星団の一部だと結論する。このまま手をこまねいていれば二つの星団はやがて衝突し、この惑星も滅亡を免れない。だが今の文明では天文学的な規模の事象に対しどうすることもできない。絶望に駆られるヤルダの前にかつての生徒であり、今はズーグマの名士であるユーセビオが現れ、ある計画をもちかける。自分たちの星団の時間軸に対し直角に加速するロケットは事実上無限の時間を得る。その旅に人々を送り出し、現在をはるかに凌駕した段階まで科学を発展させて帰還させれば、直交星団に対抗できるかもしれない。文明存続のため、ヤルダとユーセビオは周囲の無理解と批判にさらされながらもこの前代未聞の計画に取りかかり始める。
イーガンの最新作にして初のシリーズものとなるこの Orthogonal 三部作は、文明の危機に対し世代間宇宙船を送り出すというSFの原点に立ち返ったようなシンプルで力強い物語と、我々の知っている物理学の前提をわずかにずらすことで異相の宇宙を描き出すハードSFとしての緻密さを両立させた、現代SF界広しといえどこの作家しか書けない傑作を予感させる。その第一作となる本書では宇宙の基本法則の一端を解明した女性科学者ヤルダの人生に寄り添いながら、この遠大な計画の序章を描く。読者はヤルダとその仲間が未知の事象を一つ一つ推論を積み重ね定式化していくプロセスを追体験することになる。それは「サイエンス・フィクション」としてのSFの一つの理想の形といえるかもしれない。

感想

などと書いてみたものの、これは本当に超難物。ぶっちゃけ読後に内容理解テスト受けたら即死確定。これが後2冊続くとかマジ泣きたい。
……思わず本音が先に立ってしまったが、本書 The Clockwork Rocket は2011年に刊行されたイーガンの最新長編である(ってこれこの前も書いた気がする)。舞台となるのは地球どころかこの(現実の)宇宙ですらない、別の物理法則が支配する宇宙にある、どこかの星。当然登場人物もこの星原生の知的生物である。彼らは物語最初の時点で地球でいうと20世紀初頭くらいの文明を築いていて、科学もちょうど発展段階にあり、そこで主人公であるヤルダがアインシュタイン級の世紀の大発見を成し遂げるが、皮肉にもその発見が今まさに彼らの星に迫りつつある危機を浮き彫りにしてしまう。迫り来る危機に対抗するには現在の水準を遥かに超えた知識と科学技術が必要となるが、残された時間はあまりに少ない。そこでこの宇宙の特性――平たくいえば逆「ウラシマ効果」みたいな現象、理屈は全然違うみたいけど――を利用し、飛んでいるかぎり無限に時間を引き延ばすことのできるロケットを打ち上げる計画が立案される。かくして山一つくりぬいて作ったロケットに乗り、ヤルダ以下数百人の人々は無限の航海に旅立つのだった。

まずこのストーリーが現代SFの基準からするとかなり破格。だって大宇宙の脅威で世代間宇宙船ですよ。どこの50年代SFかと。バクスターならありかもしれないとも思ったが、ロケットが実際に宇宙に出た後のエピソード――初めて無重力を体験したり、宇宙に漂い出てしまったり――の素朴で泥臭い感じからすると、むしろクラーク? といってしまいたくなる*1。それから、この異星人があまりに人間に似すぎているのもそうしたオールドファッション感に一役買っているのかなと思う。体が粘土のように加工できたりとか、腕を追加で生やせたりとか、後ろに目が付いていたりとか、なるほど人間でないという描写は多々あるのだけど実際読んでいても異星人とまず感じない。むしろ鉄道はあるし車はあるし市場はあるし大学はあるしで文明の描写を見る限りもう人間でよくね、という思わずにはいられない。著者が自覚的に取捨選択していることに半畳を入れるというのも野暮というかアホだと思うけれど、あのイーガンがここまで古めかしい話書いちゃうんだーというのが個人的には意外だった。

一方で、この小説のもう一つのキモが「異なる物理法則の支配する宇宙」なのだが、これについては私めごときの口からはとても説明できない。イーガンのサイトで公開されている本作の物理学の初歩の解説を読むと、我々の宇宙とは異なった時空の幾何学が成立している、という本当にその一点が出発点らしいのだけど、そこから光の速度が色によって変わるだの、光が生まれるとエネルギーが発生するだの、ロケットで星の時間の方向と直角に飛び出すと無限速度を得るだの、ドミノ倒しのごとく見慣れた物理現象が覆っていくのである。しかしそういう物理法則が異なることで未知の世界が現出する例ならバクスターの『天の筏』(重力定数十億倍!)など前例もある。本書のすごいところは科学者である登場人物たちがその事象を考察・議論する過程を全51点の図表・グラフを元に延々と解説してくれるところにある。Amazon.comのカスタマーレビューに大学の物理の講義を聴いてる気分とあるのもむべなるかな。これ、分かる人には至上の喜びなのかもしれないが、中途半端な理解で読み進めると心が折れそうになる。「ハードSF」の中に「ドS」の2文字が含まれていることが示唆的に思えてくるほどだ。

そういうわけで本書については一面では妙に古めかしい古典SFのノリ、一面では史上最凶かもしれない鬼の物理学解説と、ある意味アンバランスな作品という印象を受けたのだけど、それでいてやはりイーガンらしい作品だなと感じるときもあった。例えばロケットが帰還するとき、故郷の星から見ると時間を逆行して戻ってくることになるが、その時自由意志ははたして働くのかというおなじみのアイデンティティ問題など*2。またここ数年の作品ともテーマ的な関連性を感じる。物理史を地球とは違った流れで再構成していくというのは、Incandescence(2008)の人類とは違った方法で重力を発見した異星人の話を彷彿とさせるし(読んでないけど)、世代間宇宙船は Zendegi(2010)の子供に何を遺せるかという話につながっている。SFがどうこうというか小説の話なのだけど、やはりこれらの作品の背後にイーガンという一人の人間がいて書き続けているということを改めて思い起こさせられた。

またしてもとりとめなく書き連ねてしまったが、それだけ人の頭を引っかき回す小説であることは間違いない。三部作もののおきまりの締めとして、次巻に大いに期待したい。だができれば次が出る前に解説求む(日本語で)。

*1:オールドファッションでかつ現代的に生真面目という意味では、一番親近性を感じたのは小川、野尻、山本など00年代の邦人ハードSF作家だった。女性科学者が幼い頃に出会った謎を一生を賭けて追っていくというストーリーは『太陽の簒奪者』を少し連想させる

*2:この問題については三部作の最終巻、その名も The Arrows of Time で扱われると推測される